創作

ゆりちゃんが持って帰ってくるノートには
時々わけのわからないものがある。
何しろボールペンで書いているので、
間違えるとぐちゃぐちゃと消してあるので、
慣れるまでなかなか読めなかった。
おまけに、問いがなくて答えだけ書いてあったりして、
しかもその答えが間違っていると
「質問はなんだったの?」と聞いても
答えられないことが多い。
問題の意図がわからないと間違いの原因もわからない。
意図を探るのに時間がかかったりする。
時々質問が載っている本を持って帰ってきていることもあるが、
学校に置きっぱなしで確認できないことがほとんど。

最近は文章の練習をしているのか、
似たような文章で主語を入れ替えて延々と
書き連ねていることが多い。
その中の一つ。
「これは一体どういう勉強だったの?」と聞くと、
たまたま問題の載っていた本を持っていたので、
見せてもらう。

問題は「次の文をふくらませなさい」
Les voisine a un jardin.(れ ぼあじん あ あん じゃるだん)
「隣人は庭を持っています」
Nous avons vu un chien.(ぬ ざぼん びゅ あん しやん)
「私たちは一匹の犬を見ました」
と書いてあるだけ。
ここからゆりちゃんは書いた書いた。
主語を変えただけ、目的語を変えただけ、といったところから始まり、
だんだん物語になっていった。
つづりの分からない単語は発音から想像して書いているらしい。
そういうのは多少間違いがあったけれど、
それ以外の基本的な文章はほとんど間違いがない。
しかも驚きなのがそれらの文章全て
自分で考えて書いたというのだ。
失礼な私は「隣の子にどう書くか聞いたの?」なんて
訪ねてしまった。
ゆりちゃんの実力を計り間違えていたようだ。

文章を書かせる宿題が格段に増えている。
フランス人の子供だってしゃべれても
自由自在に書くことはできないはず。
スパルタ式なのか、まず書かせる。
「教室で聞きたい質問」
「次の単語を使って五つ文を作れ」などなど。
私のフランス語の宿題と大差ない。
そして、ゆりちゃんはそれらを言うことはたやすいようなのだ。
まだどう書くか知らないから、書かせると間違いはある。
しかし、言葉を文字に写す作業を覚えれば、
オーラルの裏付けがある以上強いよなあ。